2020年の今、展覧会について考える 個展「未知への追憶」によせて(9分)/放送内容書き起こし

<落合陽一録 第9回> “7/23から開催される個展に込めた想いを語りました. 皆さんのご来場をフィジカルでもオンラインでもお待ちしております!”

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2020/07/21 落合陽一公式note 7月23日から落合陽一個展.ウィズコロナ時代の展覧会を考えながら

BGM

放送内容書き起こし

0:00 個展のテーマ「未知への追憶」とは?

「渋谷MODI」2階で「未知への追憶」――僕の新しい個展がいよいよ7月23日から始まります。

未知への追憶。「落合陽一録」のシーズンテーマっていうか、テーマでもあるし、今年大切にしたい考え方でもあるかなと思っています。で、新しいことを考えていくいいきっかけになる年だなって2020年のことを思っているんですよ。2019年までの世界と2020年の世界って、やっぱり繋がり方が変わってきたなと思っていて。まあだからそれまでにあった当たり前は当たり前でなくなるし、で、今の時代だからある見える物っていうのを改めて見直してみようと思ったりとか。展覧会自体は2017年、16年ぐらいから僕の活動の5年間ぐらいを俯瞰するような展覧会として、色んなものを配置してみてるんですですけど。例えば、まあ「映像と物質」をテーマにやった展覧会だとか、「計算機と自然」の展覧会だとか。「計算機自然って何だろう?」とか「映像と物質って何だろう?」とか「その間にある”差”って、一体どんなものがあるだろう?」みたいなことを考える上で「どういう意味があるのかな?」みたいなことをずっとやってきて。で、そこにある映像と物質の差だったりとか、時間と空間の違いだったりとか、まあそういったことを考えながら、その中で物を作っていくってことって何だろうとか、振り返りながら見てるっていうのが、物の作り方だったり考え方だったりするんだけど。

未知を追憶する。――未知を追憶するって、まあ変な言葉で。だって、未知を追憶しようと思っても未知だからできないし、追憶しようとするものが未知なのか、それとも未知の中に新しい発見するものがあるのか……。そういったことをテーマにずっと考えていて。それで「映像と物質」とか「物質と記憶」とか「情念と霊性」とか「風景論」だとか「風景と自然」だとか「質量への憧憬」だとか「共感覚と風景」だったりとか。そういったキーワードになるようなテーマと、それをエッセンスに含むような物を見ながら、「じゃあそれってどういう意味を持ってるんだろう?ということを考えながらやっているっていうのが、今の展覧会のテーマかなと思っていて。

2:15 手の技と民藝性―社会批評性を抜いたクリエイティブ

今回、渋谷MODIの2階が改装で空いていて、開けていただけるっていうことだったんで、あそこを工場(こうば)的に作品作る場にして、そこで作る作品もあったし、あそこの見た目からしか出てこないクリエイティブがきっとあったと思うし。その上で何だろうな…。普段こう…今ウィズコロナ以降で考えてきて、展覧会の形っていうのもきっと変わるだろうし。より民藝的になるっていうか、「手の技」、日々クリエイティブと向き合うことの大切さ。あと社会批評性を意味しないっていうか。社会を批評するんだったらそれはそのまま社会活動としてやればいいと思うし、アートとかクリエイティブだっていう立ち位置が、どんどん形骸化するっていうか。それを直接作品で、もしくは直接言及する方が、作品で表現するよりも強力な状態に近づきつつあるっていうか。

世界中が日常とちょっと変わって、ちょっと浮ついた気分の中で、じゃあ改めて社会批評性を抜いたクリエイティブを考えながら、それでも人間の本質とか世界とか社会とか環境とか、あと技術生態系の本質とどうやって向き合うんだろうみたいなことをしっかり考えていく、と。僕だったら例えば「映像と物質」とか「計算機自然」とか「物化と情念」とか、そういったキーワードを通じて世界と向き合うことの方が、一時的な社会批評性と向き合うよりも、十分に…何だろう……それがアートだなって思う時があって。で、それを未知を追憶するだけじゃなくて発見していくっていう大切さみたいなものを自分で築こう、と。もちろん、何だ…、社会的なメッセージって込めようと思ったらいくらでも込められるし、込めようと思って作品を創るということも、まあ僕は悪いことじゃないとは思うんだけど。逆に、僕は鑑賞するのは楽しいんだけどね。

ただ、社会的なメッセージっていうのをそこから抜いた時に、「純粋にアートって何だろう?」とか、「自分にとって、じゃあそこのコンテクストって一体どんなもんだろう?」って。まあ映像だったりとか、もう物質だったりの可能性だったりとか、あとそこにある、いわゆる質感だったりとかマテリアリティだったりとか、あとメディウムだったりとか、自然だったりとか、風景だったりとか。そういった中で今まで自分がやってきた活動を俯瞰しながら、いったいどこに自分は向かってるんだろうとか考え直しながらですね。お客さんと共有したらそれきっと楽しいだろうなって思ってて。

4:40 この個展での新しい取り組み

「手の技」だったりとか、あとその瞬間の風景だったりとか。まあ今までにやってこなかったような表現にもっと着目したいな、と思って。例えば、プラチナプリントをひたすら現場で刷ったりとか、プラチナプリント自体も何か例えば合わせ技で作ってみたりとか。で…そうだな、立体物も今までとはちょっと違う観点で立体物作ったりとか。

単純ないわゆるメディアアートとして作ってきた物よりも、より感傷的に、もしくはポエティックに物を眺めるっていうのを。手の技として物を作っていくっていうこととか、物を作り続けることで見えてくる物。変わり続けることを変えず、作り続けることを止めないっていうのが、僕の構造ステートメントの一つで。アーティストステートメントの中にあるような「物化する計算機自然と対峙し、質量と映像の間にある情念や憧憬を反芻する」というようなことがあるんですけど。で「その中で反芻されるものって何だろう?」ってよく考えるんですよ。で、例えば解像度から零れ落ちたものなのか、風景の中にまだ見ぬものを見ているのか。

5:55 何をどう鑑賞してほしいか?

で、そういったような新しい世界の見え方だったりとか、物の感じ方っていうのを展示の中から拾い集めていただけたらそれはいいなって思ってるし。今まだ見たことのない世界観だったりとか、まだ見たことがない自然観っていうものは、きっと自然を考え直すきっかけに皆がなってるタイミングだから。そこで僕が見ているこの自然観、計算機の自然だったりとか、質量と情念・憧憬・霊性、そういったキーワードを元に、日常の中でクリエイティブであること、物を作り続けること、健康の美のための霊性、健康的な物の出力の仕方というのをどうやって考えていくか、みたいなことを考えて行ったらいいなと思っていて。それをこう見いだしていかないといけないよね、って思てるんですよね。

「自分の持ってる自然な性質って何だろうな?」って思った時に、こう…作品と触れ合う中で「自然って何だろう?」とか「自分の身体性って何だろう?」とか「この質量に対する想い焦がれる気持ちって何だろう?」っていうのを考えながら、物を作っていることを外から体験してほしいな、と思ってるんですよね。

そういった「場」として、こう作って、音だったりとか光だったりとか空間だったりとか物品だったりとか、そういった物の中で、少なくとも自分の未知だったものを発見していってほしいなと思っていて。それを見いだせたら僕も嬉しいし、それを見ている人も何か持って帰れるんじゃないかなと思ってます。

7:20 作品作りで意識したこと

メディアと向き合うアーティストとして、メディアアートとして作るところ、もしくはメディウムを入れ替えてアートを作るところ。例えばじゃあ写真なのか映像なのか物質なのかマテリアルなのか。「じゃあそれのメディウムって何なんだろう?」「解像度って何?「世界と対峙するキーワードって何だろう?」っていうことを考えながら、こう、対象物を料理していく。しかしそこに社会的メッセージというか、社会批評性は込めてから漂白して無くしたような物をどうやって作るのか、というようなことをひたすら考え続けている。逆に、込めたことはあえて語ってはいけないというようなことを意識的にしている。その中でやっぱり言語化されないけれど、霊性みたいなものとか、あと、情念みたいなものを感じ得るものもあって。そういったことに対して、じゃあ「表現していくにはどうしたらいいだろう?」みたいなことを考え続けてはいるんだよね。

で、その工程を僕はここではたぶん「未知への追憶」って呼んでて。未知を追憶することで出てくる何らかの発見だったりとか、あと創発的な喜びだったりとか、そういったものを大切にしていきたいなということを考えながら、作品を作ってましたね。まあなんか言うなれば、結構夢中なんだよね。夢中で液体を混ぜたりとかさ、形を作ったり、そんなことをずっとやってたんですよ。で、それってすごく僕は意味あるなと思ってて、そういった民藝性がいま大切なのかなって考えながら、やっているところです。

個展「未知への追憶」、ぜひお越しください。

未知への追憶

7/23(木・祝)~9/27(日)渋谷モディで開催された、2017年から2020年までの落合陽一氏のアーティスト活動を俯瞰した個展。