「計算機と自然、計算機の自然」を考える(13分)/放送内容書き起こし

<落合陽一録 第5回> 日本科学未来館の展示の再開に際し,展示「計算機と自然、計算機の自然」の考え方やこめた思いを追憶する5回目

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2020/06/19 落合陽一公式note #落合陽一録 第5回「計算機と自然、計算機の自然」を考える

放送内容書き起こし

0:00 日本科学未来館・館長の毛利衛氏との面談「君は、何がみえるの?」

落合陽一です。今回は、日本科学未来館の展示の「計算機と自然、計算機の自然」について話していきたいと思います。

3年前の2017年――もう4年ぐらい前かな――展示をしようと言うことになって、2階に「イノベーションエリア」っていうエリアがあるんですけど。僕が小学校の時に日本科学未来館の展示を見に行った時に、ちょうど「Geo-Cosmos(ジオ・コスモス)」っていう球体の地球のディスプレイがあるんですけど、その前にあった展示なんでよく覚えてはいるんですけど。で、それを新しくするって言われて、館長の毛利さんと面談して。

(毛利)「なんか展示やるの?」みたいなことを言われて。
(落合)「はい、展示やろうかなと思ってます。」みたいな。「少子高齢社会の日本の社会の中で、AI技術って重要だよね」とか「データサイエンス重要だよね」「IT重要だよね」みたいな話を毛利さんにしたんですけど、まったく刺さらなくて(苦笑)。「おーなるほど」と思って、それを10分ぐらい喋った後、毛利さんに
(毛利)「いやそういう話じゃなくて、結局、君は、何がみえるの?」って言われて。
(落合)「え……、やっぱ計算機と自然……ですかね」って言って。「自然がどうやって計算機になって、計算機がどう自然になって、っていうようなことをずっと考えていて。僕はデジタルネイチャーっていうものが見えていて。デジタルネイチャーって何かって言ったら、我々にとっての新しい自然で。それは、質量のない世界と質量のある世界の間に物がある、と。例えば、映像であるものと物質であるものは今は違うと言われているけれど、物質みたいな映像も出てくるし、映像みたいな物質も出てくるし、人間みたいなコンピュータも出てくれば、コンピュータみたいな人間も出てくるだろう。そういった中で新しい自然環境ができて、我々は新しい自然を自然として受け入れるまま、ネイチャーを見るんだ」みたいな話をしたら。
(毛利)「ああ、デジタルネイチャーね。確かに僕が地球の外からオーロラを見た時に、それってオーロラの光は別に色でもピクセルでも自然でもなくて、確かに色は色だと思ったよ」みたいなことを言われて。そこでね、ああなるほどって思ったこともあったんだよね。

2:35 再魔術化した新しい自然環境――デジタルネイチャー

で、自分以外の人にあんなにデジタルネイチャーをスイッチ入って力説したのも久しぶりだったんだけど。でもその時に「君は、何がみえるの?」って言われたのは結構僕の中では印象的で。

自然と人が調和するように、コンピュータと人が調和し、コンピュータと自然が調和し、自然生成物も人工生成物も区別がない世界が送られるんだろうなって思って。それはあの『魔法の世紀』って本に書いてあると思う。「魔術化」ってつまり仕組みが分からないし、嘘か本当かも分からないし、仕組みを開けても分からないし。つまり「科学によって世界が脱魔術化した」ってマックス・ヴェーバーが言ってたけど、脱魔術化の世界が進んで、逆に「再魔術化」――もう1回魔術化する世界が来て、その魔術化した世界の中で我々は旧人類が振る舞っていたように、新しい自然環境に対して、じゃあそこにある自然と調和しながら生きていくとすれば、その自然って言うのは元来あった自然ではなく、おそらくデジタルネイチャーと呼ばれるような自然である。――って言うような考え方で生きてきたんだけど。

その中で毛利さんとの出会いがあって、デジタルネイチャー、新しい自然、新しい人間と機械の関係性、AI、ロボティクス、人、自然。そういった中にそれが不可分になった質量のない自然も質量のある自然も、コンピュータの中にも自然があるし、コンピュータの外にも自然があって。その中の調和環境の中でどうやって生きていくんだみたいなことを考えてたんだよね。

4:15 鏡をテーマに、解像度に敏感に

毛利さんと話してた時も、デジタルとアナログ、ピクセルと――そうだなあ…いわゆる――光る点がピクセルなのか、もしくはアナログのものなのか、もしくはそれがデジタルが起因したアナログなものなのか、それともじゃあそれがデジタルに起因したアナログで動いているものなのか。ってそういったものって区別がつかないよね、っていう話になって。デジタルネイチャーをずっと考えているんですけどみたいなことになって。で、デジタルネイチャー考えている中で、やっぱりその「自然って何だろう?」とか「じゃあ風景って何だろう?」とか、あと「風景の中にあるそのデジタルネイチャーって、どうやって馴染んでいくんだろう?」っていうので。

計算機でできる展示って言うと、やっぱりコンピュータはすぐ進歩するし、ディスプレイの解像度は高くなるし、で今はハイビジョン4Kぐらいだけどやがて8K、16Kになった時に、まだ見ごたえがするものってどうやって作るんだろうなっていうことを考えて。それでね、やっぱ「鏡」を使って展示を作っていこうって今回のテーマになったんですよね。で、常設展示だからやっぱり解像度には敏感になりたい

5:25 「計算機の自然」に物化する計算機自然を見る

つまり、LEDみたいなドットマトリックスって解像度が低いものもアリだし、あえて解像度低くしてコントラスト取るんだったらそれはそれでいいから。あの展示の中のGAN(ギャン)――画像生成で機械学習で作った画像――で森羅万象がうねうねとしてるやつがあるんですけど。あれはあれで色んなところからデータセット借りてきて。例えば、変わったところだと仮名文字の崩し字データセットを借りてきたりだとか。昆虫が植物になったり、植物が人間になったり、人間が何とかになったり。データセットの中のものを行ったり来たりしているのを眺めているだけで、人間が持っているこのおぼろげな「Transformation of Material Things」――物化する計算機自然――が見えてくる気がして。

6:11 ①ジオ・コスモスを借景する「計算機と自然」はどこから見た風景か?

GANで生成する「計算機自然」という作品の横には、「の」と「と」しか違わない「計算機自然」というのがあって。で、その「計算機と自然」の方は、構造色で作ったモルフォ蝶と現物のモルフォ蝶とロボットと、生け花と電子部品と、光学常磐と。そういうものが並んで調和している風景を作りたくて。

で、借景として「ジオ・コスモス」を背負っている。あの地球を背負っている、デジタルのね。デジタルの地球を背負いながら、じゃあそれでいて何だろう――風景を見たら、これはどこから見ている風景何だろうな、って思うんですよね。例えばじゃあ、これって月から見ているデジタルの地球を見ているけれど、これはフィジカルな地球だったらそれは月からもしくは月と地球の間ぐらいから見ている風景なのかなって思ったりとか。そういうようなことを考えながら地球を見てるんだけど。

7:15 ②計算機と自然ー連続性の中にある不安定性の掛け合わせ

で、その地球を背負いながらデジタルとアナログが融合し、どちらももうデジタルのくびきから逃れられないというか。生物はそもそもデジタルで動いているものも多いし、DNAはデジタルだし。「それで出てくる子どもがデジタルか?」というとまあ、子どももデジタル信号ではある。DNAだってRNAだってそうだよね、情報だよね、情報の乗り物だよね、みたいなことを考えると。

じゃあかたやコンピュータもデジタル。デジタルなところもあるし、生物もアナログな場所もあれば、コンピュータもアナログなものもある。んで、解像度は違う。解像度はやっぱすごい重要なファクターだから、じゃあそれが物理量としての解像度、情報として一旦区切って停止して、そこから出てくるこの情報のやり取りの違いと、アナログが持ってる――何だろう――連続性の中にある不安定性みたいなものの掛け合わせって面白いなあと思ったりしながら、展示作ってたな。

8:20 ③計算機と自然ー華道家・辻雄貴氏とのインプロヴィゼーション

その中でやっぱ「計算機と自然」は、華道家の辻さんともコラボレーションしながら作ってるわけだけど、やっぱりこの前、再開館する時に久しぶりに会ってですね、インプロヴィゼーションしながら、お互いに何か大体のモチーフは最初に決めとくんですよ。何かそうですね、最初にモチーフ決めるっていうのは「こんな風な絵になりたい」って最初にスケッチ描いて最初決めて、スケッチを元にディスカッションとかして。ディスカッションして決めたやつをじゃあ例えば、こんな風な不安定な――今回は重力から浮いたようなものを作りたいということだったんだけど。その重力から浮いたようなものを作っていくのに、そうですね。重力から浮いたような形状を持ってきて、浮遊感があるモチーフを作ろうって言ってやっていって、大まかな形は決めず、その形をやりながら電子部品足したり、昆虫付けたり、あとそこでロボット入れたりとかして、インプロヴィゼーションしながらお互い作っていく。

で、あの作品って言うのは、月に2回ぐらい雰囲気変わるし、半年に1回ぐらいは中身も入れ替わる。中身って言うか、土台自体も替えちゃうし。そういうようななんかこう、生け花が生活の中に入っている、自然物が入っている。けど、それが切り出された自然で。でも切り出された自然は元来の自然と繋がっているから、その元来の自然が持っている春夏秋冬を踏襲したものがこの極めて人工的な空間の中にあったら、それはそれで面白いなって思ったんだよね。

9:56 古い文化をどう現代に繋ぐか?

そういったような「“ローカルの地域性があるカルチャー・文化”と繋がっているっていうのを、どう考えていくか?」っているのをずっと悩みながら。まあ例えば、「初音ミクってカルチャーか?」って言ったらカルチャーだし。「浮世絵はどうか?」って言ったら浮世絵もカルチャーだし。じゃあ「古墳に描かれていた女性の像はどうか?」って言ったらそれもカルチャー。で、そういったじゃあ古くの文化と日記文学とか合戦とかそういうところとどうやって今の現代繋いでいくのかとか。「風鈴の鳴る音がするなぁ」と思っても、風鈴の中に「舌(ぜつ)」がない――鳴るところがない。まあ超音波で作ってるようなやつだったりとか。

映像だと思った魚が本物だったり、本物だと思った映像が魚だったり、そういったようなある種だまし絵的なんだけど、でもそれを実在してるかどうかっていうのを、本質的には区別しないで物考えている事って僕はいっぱいあると思っていて、で、その中にあるものって言うのが、どういった意味があるんだろう?「普段どういったことを感じながら僕らはこの物質的な世界に生きているんだろう?」「じゃあ物質の良さって何だろう?」「その物質の裏側にあるそれが存在だと思っている、それが頭の中でデータとして感じているものって言うのはじゃあ、なんの感覚――身体感覚に基づいているんだろう?」みたいなことを、考えて考えて考えて考えて何年か経ってできたんですよ。

11:30 イルカのメロン体―後発的な人工のデジタルと自然のデジタルの共通点

その考え抜く感じもなかなか気持ちが良くて。じゃあ、イルカは。イルカは空間をソナーする超音波のメロン体――メロン体ってここ(おでこ)についている脂肪細胞の集まりみたいなのがあるんですけど――そこに音を流してビームを作ったりだとか、焦点作ったりして周囲をスキャンする様子って、人間が――何だろう――そういったような赤外線ソナーとか超音波ソナーを使ってスキャンする様子にすごい似ているし。そういったようなじゃあ、おでこに入っているこのメロン体って――何だろう?――例えば音響レンズとかメカニカルメタマテリアルとか、ネガティブインデックスマテリアルとかを言及しているほうからすれば、それって――何だろうな――細胞を使ってそういうような構造を作るっていうのもそれはそれで非常にコンピューテーショナルだし、逆に生物的だし。

でもその両輪が繋がった時、デジタルな自然の中にあるデジタルと自然の共通点だし、自然の中にはデジタル当然含まれるけど。我々が作った後発的な人工のデジタル自然のデジタルの共通点みたいなところを見つける、と。やっぱりそれって心が深く動いたりするよね、と言うような。そういうところを拾い集めて考えているんですよね。