デジタルヒューマンの解像度(24分)

<落合陽一録 第12回> 桐島ローランド氏と対談。新常態に世界が移行する中でデジタルヒューマンはどう変化していくのか。

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放送内容書き起こし

未済

考えたことメモ

あとで別のとこに移す。とりあえず浮かんだことをメモってしまった。

「デジタルヒューマン」とサイト内で検索した際に、思いがけない記事が検索結果に出た。こういう動き方を狙ってた、よき。↓これ。

こんな感じの現象がもっと起こるといい。もっと、色んな番組や記事や講演の発言が俯瞰できるような感じになるといいんだよな。「こんな感じのことを誰かの対談動画でしゃべってたか、noteで書いてたぞ」と思うんだが、その記述ページが出てこないことがよくあった。それを無くせるはず。たぶんnoteはキーワードで整理するのがいいはず。そのタグで該当のnoteのページがピックアップされる。詳細は金払ってる人だけが読める、という状態。現状はnote内検索が弱いのか出てこない。

後追いで理解しようとした人が、一個の露出を丁寧に読んでも「何言ってるかわからん」になる。=例えば全講演・全番組を私が一字一句もらさず書き起こしたとする。そのうちのひとつを誰かが丁寧に読んだとしても「理解できない」は残る。
「早口で単語が聞き取れない」人は単語を目で見ることができるようになる。その単語の解説を入れれば、意味を理解できるようになる。それでも「理解できない」「意味が分からん」と感じる原因は、分野を横断する思想の繋がりを俯瞰できないから、な気がする。前提知識がないから。ITの専門家がIT領域の話をしてるんではないから、というか。ベースが古典芸能の人っぽいんだよな。茶道習ってた時のわけわからなさに似た感じがある。茶道では「わからん」と思った時に「自分に知識がないから」と考える人が多いはずだけど、どうしてメディアアーティストが話した時に「お前のいうことは意味分からん」になるんだろうな?色んな大学教授の講義が分からん時、相手をバカだと思う人は少ないはずだけど。考えれば考えるほど不思議だ、

書籍やらnoteやらラジオやらテレビやらを追いかけてると、「ひとりで語る(大勢に向けての)講演はいつも同じ話をしてるな」と思う。あまり目新しさがない。「対談・鼎談・トークセッション」になると、相手の視点が入ってその領域に向けた言葉になるので、よい。つまりやっぱ「対談相手」がすごく重要。オープンになった情報の、キーワードと対談相手のタグ化、それが淡々と時系列でアーカイブされ続けること、はやっぱ、非公式の価値だと思う。あと落合氏を幹に対談相手に枝葉が広がっていくと面白い。だからタグのとこで公式サイトやtwitterでこのサイトから離脱するのが重要。囲い込むんじゃなくて離脱させる。離脱するのに便利なサイト、がいい(noteもアプリも囲い込む)。

★オープンになった情報=まず、ネットで無料で読める情報。ここの網羅と整理が大事。
次に、書籍・有料noteなど金を出せば「誰でも」読めるもの。weeklyochiaiの有料アーカイブもここ。有料版は有料会員が増えるようなまとめ方が必要(全部を書ききると利益を妨害する。)

クローズドな情報=アーカイブの残らない講演やサロンの扱いは難しい(また次のフェーズで考える)生に価値がある。


かつ、こういう私自身の「感想や解釈」は別の場(このドメイン以外)で書くのがいい。場を混ぜないのが重要。

↓デジタルネイチャーとか魔法の世紀の英訳は、英語圏にウケそう、って話が出てくる。

宇野氏の発言とか「ノンマネジメント」のブランディングにも繋がる。タレントとしてイメージをマネジメントしない、誤解されたままにする、いろんな像がある、分人。

”かみ砕いた本は、大手の出版社がやればいいと思っています。例えば、箕輪厚介さんがやればいい(注:箕輪さんは同じ落合さんの著書『日本再興戦略』を担当した幻冬舎の編集者)。箕輪さんは、注目のメディアアーティストから、この数年で若手を代表する「総合知識人」へと進化した落合陽一の「大衆向けマニフェスト」を読みやすくまとめた。あれはとても意味のあることです。 一方で、僕は”
https://www.asahi.com/and_M/20180713/154403/

このあたり、このまとめサイトをやろうと思ったきっかけに立ち戻るが。

アンチを生みやすい人と生みにくい人がいる。2世タレントとか態度とか「生まれが恵まれている」と「自分で努力していない」くせに、とアンチが湧く。

「自分が理解できない」ものをまるっと「うさんくさい」と考えてしまう人がいるのはなぜだろうな……。「わかりやすく説明できる人が賢い・能力が高い」と見なす風潮も変。理解できないのは自分がバカだから、と思わないことこそがバカたるゆえんだろうか。「ググれば答えが出てくる」とか「わかりやすく説明してもらうこと」に現代人は慣れ過ぎているのかもしれん。それがSNSの誹謗中傷の増加を生んでいる感じが。SNSで人と繋がりやすくなったが逆に、「考えること、アウトプットすること」を阻害している感じがする。安易に感想を吐くことのデメリットがある気がする。容易に繋がってはいけない、というか。オンデマンドで時空を越えられる環境だからこそ、(少なくとも私には)ネットで接続しない思考環境が必要。→コメントのやり取りが不要、というか。ネット自体を否定しているんではなく

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デジタルヒューマンのはなし、「アバター」→デジタルで着ていく服を売る。不調なアパレル業界の取り組みとかに繋がる…

人間がデジタルに合わせたコミュニケーションを取るようになる話がどっかにあった。そこと似てるのが「ポリテック」。政治がテクノロジー側に合わせる。

あと子どもの教育。通信環境に依存する。ひとりに一台早い回線のPCがないと授業についていけない、発言権がない。

人々が何かに対して「うさんくさい」と感じる心理について、掘り下げたいな。それってどこかでキーワードの「魔法(=仕組みが見えない)」につながる気がする。

うむー。とりあえずまずは過去露出をアーカイブし終えることだ。そして記述フォーマットを早く固めて、淡々とアーカイブするルーティン状態まで持っていきたい。