YouTube チャンネルを始めて考えたこと(8分)/放送内容書き起こし

<落合陽一録 第3回> YouTube チャンネルを始めて考えたこと. 新しい日常の中での変化を追憶しながら未知を探求する第三回.

動画視聴ページ

“第3回はYouTube始めてみて考えたことを語ってみました.週末にラジオみたいに聞いてもらえれば嬉しいです.”
“コメント欄を見ていても一人一人追いかけているペルソナが違うし,想定する「大衆はこうだ」という像も違うのが面白い”(公式YouTubeコメント)

関連資料

ダイジェスト動画

放送内容書き起こし

0:00 想像以上に、人は僕のことを見ていない

落合陽一です。YouTubeチャンネルを始めて、変わったこととか思ったこととかを話していければなと思います。

YouTubeチャンネルを始めてから「思ったより、他人は意外と僕のこと見てないんだな」と思いました。例えば、twitterとかプレスリリースとかウェブとかで結構色んなことを発信してるわけですよね。毎日例えば「うちの研究室でこんな研究してますよ」とか。「こんな作品展やってますよ」とか「展覧会こんな風にやってますよ」とか。「こんな研究プロジェクトがあって、こんな風な成果が出ましたよ」とか「こんな監修とかアートディレクションしましたよ」とか。あと何だろう…。「会社でこんな事業やってますよ」とか「こんな風な番組に特集されました、これに出ました」とか。結構毎日、色んなことを出してるし、ブログとかでもちゃんと書いてはいるんだけど、それを見てる人ってすごい少ないんだなって思って。

いや、もちろんtwitterはおかげさまでフォロワーが44万人ぐらい多分いるんですけど。それを全部見てくれてる人がいるかって言われるとそうでもなくて。で、自分としては展覧会とかって割と多くやってるつもりなんですよね。どういうことかって言うと、1年に4回とか展覧会やったりとかしてて。個展で展覧会やるのって、作家としてもそこそこ少なくはないだろうなと思ってて。毎回見てくれている人はいるし、毎回来てくれている人もいるんだけど、ほとんどそれをしていることは知られてないんだなと。そういうようなことが多いなと思ってて。

2:23 人によって見ている像が全然違う

で、それがどうやったらちゃんと伝わるのかなと思ったり。それがどうやったらちゃんと見てくれるのかなと思ったりとかしてましたね。「見てくれる」って言っても「見てほしい」ってわけでもないんだけど。自分の想定では、自分が外に向かって発信して、そこそこRTされたりとかそこそこリーチしているやつっていうのは、そこそこ認知してくれているのかなって思ってたんですけど、なんかそうでもないんだなと思って。それが僕の中ではむしろ意外だったんですよね。

まあ、それはそうだよね。だって、NewsZero出てても10%ぐらいの人しか見てないし、twitterで何十万人かフォロワーがいても日本人は1億人ぐらいいるわけですから。それを毎回発信していても、同業者でもたぶん追い切れてないし、そのくせ、検索してSEOに引っかかったものしか見た目興味がいかないし。

で、人によって多分見てるものが全然違う。それでいて「一体俺何なんだ?」と言われても、僕は自分だから自分でやってることっていうのを外に出している。自分としてはやってることは分かるんだけど。でもそれって、全然伝わってないんだろうな、って改めて思った。ので、自分で思っていることを発信していくことは大切だなと思って。

4:00 研究とアートはメディア装置を専門に扱う上で同じ

で、それをね。だからもうなんか、普通に考えれば普通のことなんですよ。だって、22歳ぐらいからメディアアーティストやってきて。メディアアート好きだし、 情報技術が好きだから、学位(博士)取るじゃないですか、博士論文とか書いて。それはテクノロジーわかってるのに必要なことって言ったら、学位取って、世界で何か自分が詳しいこと見つけて、そこから研究していく、みたいなことをするじゃない。つまり、研究しているってことと作品作ることって多分、メディア装置を専門に扱う上ではすごい似てるから。

で、アートしてて研究者するって言うのも、多分普通だと思うんですね。だって、メディア装置について、ちょっとでも理解してちょっとでも研究してないと、すぐ感覚が鈍るし。それをやるってことは、僕の中で研究も大切だし。で、アートも大切。それは自分の中でどこを表現の核にするのかとか、どこにメディアに使ってやる表現の意味があるのか、みたいなことを考え続けないと。それはどっちも薄くなっちゃうから。作品性みたいな、テックの裏にある作品性とか、今まで皆がやってるアートの文脈とは全然違うアートの文脈を追ってるわけだけど。それはそれでメディアアートとして意味があると思っていて、それを探すなんか楽しみ方(※聞き取れず)がそもそも違うことしてるんだなって思っているんですけど。

5:37 研究を社会実装するために起業するのは当然

そしたら逆に起業して、社会にテクノロジーを実装しようとするのは当然なはずで。研究してたら、研究の社会実装って重要な課題だし、それをやるのも普通だし。だって、それをしなかったら昔研究していた杵柄を取って、その杵柄で引用されたとか言いながらデカい顔をして生きていくなんてことは僕にはできないし。それを何だか社会に入れたいっていうことを、どう考えていくのかが多分大切だし。

そしたら今度逆に、国プロとかまあなんか研究者やってると大きいプロジェクトやったりとかする時には、大きいプロジェクトの裏には社会性高くないといけないし。社会の中で必要な課題を研究として取り組むのに、なぜそれを研究として取り組まないといけないかを定義化(※聞き取れず)する。それもやっていくのが多分当然の流れ。

6:30 音と光の研究を表現にする時、共感覚は当然のアプローチ

その中で、例えば、音と光をずっと研究してきたわけだから、音と光、身体性、触覚、デジタルファブリケーション、AR、バーチャルリアリティ…。そういった中に、例えば「質量って何だろう?」とか、逆に表現で言ったら、物化する計算機、デジタルトランスフォーメーション、トランスフォーメーションマテリアルシングス、流転する物化する質量にこだわる、そこにある情念って何だろう?とかそれをずっと考えてきたわけで。

そういったものがじゃあ、表現としてなる時、じゃあ逆に言うと「オーケストラの質量何だろう?」とか「オーケストラの音楽何だろう?」とか、それが共感覚的な世界を作るんだったら、視覚と触覚入れ替えてやったりとか、聴覚入れてやったりとか。僕の中でそれってすげえ当然なアプローチで。

7:15 自分では繋がった一本の線を全部やっているだけだ

そういったことをね、やっていきたいなと思って、僕の中で繋がっている一本の線を全部やっているつもりなんだけど、やっぱそれが歯抜けになって伝わってたんだなあと思って。それをもっとちゃんと伝えて行った方がいいなって思ったんですよね。やっぱだから「チャンネルを作って皆に見てもらうと言うか、ちゃんと自分が思っていることを聞いてもらうって言うのは、すごく大切な時間にしたいので、ぜひ皆さん、拙い喋りですけどまた聞いてみてください。