脱近代宣言(水声社)

すべての近代人に捧ぐ
落合陽一が、同時代を疾駆する哲学者・清水高志、キュレーター・上妻世海とともに、脱近代、デジタルネイチャーの〈哲学〉、アート、仏教、あらゆる関心領域を語りつくし、応酬しあう。新しいカルチャーの誕生を予期させる、密度と速度と深い歓びに満ちた、歴史的会談!!

「近代の超克」がグローバリズムとローカルの対比や日本的デモクラシーの中で幾度となく議論されてきた。第二次世界大戦時のファシズムの接近から一部でレッテル貼りに使われてきたこの種の議論は、言語的な枠組みと歴史の意図的な振り返りや批評によって行われてきていたもので、テクノロジーや芸術論による非言語的アプローチによって、脱することを議論されたことは少ないのではないだろうか。
 近代的な成長社会から成熟社会に臨んだ今、われわれはヒューマニズムの枠組みのなかの成長とは違った解釈を取りうるのではないだろうか。テクノロジーによるアプローチや、芸術的な美意識や価値の勃興に基づいたわれわれの文化的側面の再考は、平成の時代が終わろうとしている今、必要なことに思える。
 この鼎談本を収録した際、非常に楽しいキャッチボールの時間になった。近代を超えるのではなく静かに脱して醸成するそう言った考え方は、今の世界の言語理解とは馴染まないところが多いかもしれない。しかし、インターネット以後、その計算機を用いた実装と人との間のフィードバックループは明らかに違ったカルチャーを生みつつある。そんな時代感を感じながら読んで頂ければ幸いだ。
――はじめに(落合陽一)より


目次
はじめに(落合陽一)

第1章 エジソンの夢、サザランドの夢
 メディアアートと脱近代
 高解像度と低解像度――物と映像のフェティシズム
 再魔術化をめぐって
 石とテンソル――デジタルネイチャーの風景
 機械のパースペクティヴィズム
 近代的主体とヒューマンネイチャーを超える
 機械による「多自然」世界を生きるために
 エジソンと蓄音機
 資本主義というネイチャー
 一休宗純について――見えないが、「ある」もの
 さまざまな時間と空間
 モチーフから、メディアへ

第2章 近代の終焉
 標準化の起源
 機械論と「多の一」――西田幾多郎の視点
 ただ、「形」を変えること
 終わりなき『トゥルーマン・ショー』
 機械と人間の共進化
 「敵について」――近代とその終わり
 三つの黒丸
 動物は、インターネット世界にいる
 大衆、虚、空――近代日本語の遡源へ
 ホログラフィーをめぐって
 物はあるのか、ないのか?
 MI6とモサド
 人類はマトリックスを手に入れる

第3章 現象to現象の世界へ
 交錯するパースペクティヴ
 波動、知能、物質
 ReverseCAVEとグレアム・ハーマン
 どこまでデジタルネイチャーを記述すべきか
 「心を動かす計算機」
 身体の操作、脱人間化
 人口減社会をチャンスにする
 現象to現象の世界――イルカたちの神殿
 「ともにググろう」の世界
 人類イルカ化計画
 「アリスの時間」の時間
 まず物を作る――プロトタイプからの思考
 行動ある自立の世界には潮目がないんだよね、「DO!」「やれ!」
 事事無礙法界とデジタルネイチャー

あとがき(落合陽一)

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